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Our Story

​華山の歴史

華山のはじまり

 中華料理華山は昭和46年3月、現在の地に「中華料理レストランさいとう」の屋号でオープンしました。

中華料理店の名前にレストランと付けたのは、故創業者の中華料理に対する一つの思いの現れでした。

 当時、本格的な中華料理を販売していたお店は一皿のボリュームが多く、とても一人で気軽に食べにいくことができないお店が一般的でした。
また、外食そのものが贅沢として考えられ、何らかの晴れの時に利用するものでした。

「堅苦しくないポケットマネーでそこそこの中華料理を食べることができる店作り」、これが名前に隠された思いです。

 この思いは今でも私共商いの根底にしっかりと根付いています。また、惣菜販売もオープン当初、焼き餃子の実演販売としてスタートし、目の前で焼き上げる餃子は家庭の主婦の方々に絶大の支持をいただいていました。
 昭和50年代モータリゼーションとなり、日本の外食産業が黎明期を脱していわゆる郊外型ファミリーレストランを出現させ、日本人の食生活が大きく変わり外食が日常的に行われるようになっていき、それに合わせるように、私共の店舗も全面リニューアルを行い、店名も「中華レストラン華山」に変えました。華山の由来は、「中華料理の頂点を目指す」。
 ショップ・コンセプトを思い切って作り変え、当時としては珍しい中華料理の洋風化を実現しました。

いわゆる中華ファミリーーレストランの出現です。

一品料理は洋皿を使い全てガルニをつけ、ポーションはお一人様サイズにスモール化。

今では当たり前の「コーヒーおかわり自由」を中華料理店で実現しました。
物珍しさもあって、地方の同業者がお見えになったこともしばしばありました。

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​1961年尾山台駅 写真:世田谷デジタルミュージアム
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​華山の店舗を増やす

 昭和56年(1981年)6月、川崎市高津区向ヶ丘にローサイド型中華料理店1号店川崎向ヶ丘店をオープンしました。
本格的中華料理をお手頃な値段で召し上がれるお店が郊外の住宅地にできたことで連日、大賑わい。まさにこれは関東地区の郊外型中華ファミリーレストランの走りでもありました。

 昭和61年3月には尾山台店を全面リニューアル。

いずれも中華ファミリーレストランの装いをしたお店でした。 まだこの業態の中華料理店は少なく、お客様から大きな支持を得ました。

 その後も世の中のバブル期のまっただ中の勢いに任せて強気の出店策をとり続け、今度はお客様のご馳走ニーズを取り込むために昭和63年6月に新しい業態の中華料理、『上海公司』1号店を川崎宮前平にオープン。
 同年11月町田市成瀬に2号店をオープンしました。

これは、お客様のニーズの先取りだったのです。 そして平成元年8月尾山台店を再度全面リニューアルし、今のお店の姿になりました。

 しかし、この強気の出店策が大きなミスを犯すことなりました…。

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​路頭に迷う

 

 飲食店の使命は、お客様に美味しい料理・ホスピタリティなサービスと快適な空間を提供すること。そして、提供することで食生活の喜びと楽しさの感動を体験していただくことです。このことは規模の大小を問わず、とても大切なこと。

 ところが、私たちが過去に大きな過ちを犯したのは、この大切な事柄を頭では理解していながら、現場では効率重視・多店化の名の元に、調理作業や接客作業の単純化・標準化のために、熟練した調理技術者を軽視し経験の浅いスタッフを配置したために、結果として料理の美味しさが深みのない商品群となってしまいました。また、お客様と直接接するサービス・スタッフの画一的なマニュアル作業によって、お客様の要求を満たす接客とはなり得ませんでした。

 もちろん単純化標準化によって大きく成功された企業様もたくさんおられますが、時代はバブルが崩壊し日本の景気が長期にわたって低迷する入り口の時期と重なり、外食産業そのものの真価が問われる時代、本当に価値のあるものだけが、良い評価を受け、生き残る時代に入りつつありました。

 単純化した商品は結果として、クオリティを欠いた料理となり、創業期より追求してきた私どもの真骨頂である美味しさをそぐ形となりました。

規模を拡大するにつれてスタッフの養成も出店に間に合わず、お客様のお店に対する評価が従々に低くなっていきました。 その時々の対策も大きなマイナスの流れの中では有効なものとはならず・・・。

 平成3年ごろから、売上高を上げることで資金繰りをよくしようとする解決策はお客様の評価が低くなっている状態では即効性はなく極度に資金繰りが悪化し、多くの取引業者の方々やスタッフの皆様に大変な迷惑をおかけしました。

万策尽きて平成8年、私どもの前会社は消滅してしまいました。 私どもを育てて下さいました多くの方々に不義理をすることとなりました。

 いま思えば、飲食店の使命を肝に命じ、愚直なまでにそれを進化させることを忘れた結果であると本当に深く深く反省しています。そして、お客様への真のロイヤリティを追い求める再生の険しい道のりが始まりました。

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華山の再出発

 

 人生はたくさんの成功と失敗を経験しながら成長して頂点に達し、そして衰退する。これが世界の一般的な生き様のような気がします。

家族で言えば、親から子供へ、そして孫へというように家風が引き継がれて成長と衰退が繰り返されます。商売の栄枯盛衰も同じようなものと思います。

そのような考えに基づいて、事業を成長させるために次に展開する事業の種を撒いておくことも必要。

 ところが私どもは未だ成功の頂点に到達する前にずっこけてしまいました…。

このまま引き下がることは目的を途中で諦めてしまったも同然。

人生に大きなしこりを残すことになります。「兎に角、商売を継続することで目的を達成しなさい!」と友人につよく勧められ、意を決して再開することにしました。

 信用を失った私どもは新規開店で、新しく社会に出る若者に戻った気持ちで一からの出発を決意しました。
失敗という負い目と人様の目を気にする自分がいましたが、そんな気持ちを消し去ってくれたのは現場に入り、朝からよるまで調理や接客に専念できたことです。

 今日があるのもあの時の友人のアドバイスがあったからです。その友人には今でも大変感謝しています。

以前は、現場を離れていましたので、体力に不安がありましたが、飲食店の原点である「美味しい料理をリーズナブルなお値段で提供すること」をひたすら追い求め現場で精一杯働きました。

 驚いたことに現場に入ってからわかったのですが、食材の管理のずさんさを目の当たりにし、お客様の評価が悪くなったのも当然であったと思いました。そんな基本的なことがわからなくなるほど現場を離れてしまっていたことが失敗につながったんです。

 お客様のお役に立つことを真剣に考え・実行することは、資金がなくとも、気持ちを持てば、すぐにできること。

この時の教訓を今でも私どもの商売の基本に置いています。

当たり前のことを当たり前にやり続ける大切さ。その本当の意味を理解したのが平成8年3月の出来事でした。

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未来に向かって

 さて、華山の誕生から今までの道のりを急ぎ書きつづってきました。独りよがりの駄文におつき合いいただき心よりお礼申し上げます。

終わりに際して、今私どもが一生懸命取り組んでいる活動を皆様にご紹介していこうと思います。

 先日、あるセミナーでお客様を「えこひいき」することで、固定客・ファン客を獲得するシステム作りを教わりました。

今まで私どもは、お客様を平等におもてなしすることを一つの目標にしてサービス・システムを作り上げてきました。

 このやり方は飲食店では通常一般的に行われているように思われます。お客様一人一人のご来店動機、ご利用頻度、消費金額などをデータ化しないで、ご新規のお客様もご常連のお客様も同じおもてなしをする。

 そのおもてなしの言葉をマニュアルにする、これこそがサービスの均質化ということになるようです。

そうすることでご利用回数が増えれば増えるほど、お客様は画一的な対応にもしかしたらご不満をもたれる方もおられるかもしれません。

 誰でも同じような対応ではなく、どなた様もご自身を大切な常連客として応対して欲しいと思っておられるのではないでしょうか。

 このことに気づかされ、自前のシステム「つなぐ手クラブ」を立ち上げました。

あたかも航空会社のマイレージのようにご利用金額によってカードのステータスが変わり、その特典に変化が加わります。

 ご常連のお客様には大切なおもてなしができるように、サービスを検討して作らせていただきました。今後はステータスの特典をより喜んでいただけるよう、進化させたいと思っております。

 私どもを育て支えていただいております、お客様のみなさまに心からお礼を申し上げます。

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